BRAIN-TRAIN 23

 

期待はプレッシャーにもなる。
でもそれで終わるより自信に変えたい。

ここ最近、自分のやっていることが正しかったのか、
これからもこのままでいいのか、なんて考えてしまう瞬間があります。

1999年に高校を卒業して株式会社リーブルに私は印刷工として就職しました。
印刷に憧れて!とかじゃなくて、なんとなく入社したわけです。

そもそもドイツなんかと違って、印刷工の地位と言うものは、
本当に影の存在と感じていました。
でも、今まで出会ってきた同業者の方や印刷工の方は、
本当に誇りを持って仕事してらっしゃいます。

入社当時は、作業服がインキまみれやし、汚くなり、
これが本当に自分のやりたいことなのかと、何度も考えました。

私がやる気にり、自分の印刷に対する気持ちが変わる転機になったのは、
高知の老舗お菓子メーカー様の特色刷りの仕事でした。
それまでの自分の印刷の仕事といえば、指定された色を、
ただただ練って作り、汚れないように安定させて印刷する。
当たり前に与えられた課題のようなものをこなしていく感じだったのですが、
高知の老舗お菓子メーカー様の仕事は、その発注内容が少しずつ変っていったのです。
老舗ということもあり、担当の方が詳しいということもあり、色には本当に厳しい意見をいただきました。
刷り直しになったこともあって、本当に印刷の難しさを教わりました。
そのお仕事を担当させていただくようになってから、月日は流れ…
ある日、色のイメージだけ(前回よりももう少し赤く…とか)伝えられ、最終のOK判断を任せていただくようになりました。
人は、任せられるとやる気になるんですね。
その当時のリーブルの担当営業マンが私を成長させるための策略だったのかもしれません。
しかし、その老舗メーカーさんに色を任せてもらえるということは、
本当にうれしい出来事でしたね。

それが2色機を担当させていただいてる時の転機でした。
カラー印刷機を猛勉強するきっかけもたくさんある中で1つ紹介させていただきます。

それは、ある印刷会社様からの下請けの仕事でした。
選挙ポスターの仕事で、私にとってもユポという紙で印刷するのが初めての仕事でした。
ユポは合成紙になるので、普通のインキでは印刷できません。
その仕事はスーパーユポといって通常のインキでも印刷可能な合成紙でした。
しかし、選挙ポスターは野外に貼るので光に強い耐候インキで印刷しなければならなかったのです。
耐候インキというのは非常に濃度が薄く、安定させるのが難しかしいです。
その印刷会社の担当(社長)様は製版出身の方。色には厳しいお方。
印刷し、仕上げて納品して何時間かたってから、直々に来社されました。
「こんな顔色が赤くて酔っぱらいみたいなポスターはお客さんに納品できん!」
って、印刷工の私を怒鳴りに、もとい。叱りにきました。
確かに、ほんのりというレベルを超えた赤っぽさが気になっていたので、
「この人はするどい、品質を見るチカラがあるんだな」
って感じてはいましたが、考える余裕はありませんでした。
上司に怒られたことがあっても、他の印刷会社の方に叱られたこと初めてだったので。
驚きというかビビってましたね、たぶんあの時。
その方が帰られてから、スゴく凹みましたし悩みました。
目標の印刷濃度は出てるのに、なんで仕上がりの色が変わってしまうのか。
その時でしたね、印刷で大切なキーワードにもなっている
「ドットゲイン」というものの大切さを痛感したのは。